B  沢入、最初の宿場そして上州へ

b 沢入・草木 地区  沢入ルート

沢入ルート 沢入トンネル ~ b13 東宮神社

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b 沢入・草木 地区  袈裟丸方面ルート

袈裟丸方面ルートは寝釈迦と小中大滝

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袈裟丸方面ルートの話し

 沢入方面ルートはあかがねの道ではありません、しかし、寝釈迦は「足尾銅山でなくなった人々の魂をしずめるため」ともいわれているのと高山彦九郎がわざわざこの地をおとずれている処からここを紹介します。  天明二年の4月、彦九郎さんが友達の家に行って、沢入の自然塔を見たいというとその友達も見たいということになり、それでは一緒に行こうということになったそうです。それでその日はその友人宅に泊まり次の日には出発しました。彦九郎39歳の時です。 沢入から袈裟丸山に登るのは大澤寺の所から入ります。 古来から相輪塔(沢入塔)と寝釈迦を守護し管理してきたとされています。  道は途中に二股が有り塔ノ沢コースと弓の手コースに分かれ、寝釈迦を見るなら塔ノ沢コースの方が良いでしょう。押手川に沿って進むと不動滝・般若滝が現れ駐車場に付きます。ここから押手川は塔ノ沢と名前を変えます、沢沿いの山道を徒歩で進み、2キロ一時間ほど登ると寝釈迦と相輪塔(白蛇塔)のある所にあるところに出ます。時間があれば、この先の賽の河原(2km・一時間)まで足をのばすのもよし、さらに4km二時間ほど登れば袈裟丸山に付きます。 袈裟丸山は標高1908mの奥袈裟山と1878mの袈裟丸山とからなりますから赤城最高峰の黒檜(1828m)より高いことになります。位置は関東平野の大田・伊勢崎から赤城方面を見ますと赤城の右側に冬の時期は雪をかぶった双耳峰が見えます。これが袈裟丸山です。袈裟丸山の由来は「中国から戻った弘法大師が高野山を開こうとしたところ、赤城山の山神は仏の地となることを嫌い、一谷を隠して九百九十九谷しか現さなかったそうです。大師は、残り一谷を探して現在の袈裟丸山まで来たのですが、ここにもなく落胆し、袈裟を丸めてこの谷に置いて下りたため、袈裟丸の名前がついたということです。

 

天明二年四月八日 新八というものを案内として西に向かって白蛇塔の方へ幽谷を入る、宿の子伊右衛門も従い来る、暫くして源太郎なるもの追いつき登りゆく事半里(2k)ほど、いぼ沢という流れあり、渡りて5間(9m)ほどの大石あり、始白蛇塔ここにありしか飛て今の所へ行くと伝ふ、また半里ほどにして滝あり不動滝と号す、石に不動を彫る。北へ転し行くこと一里ほどにして白蛇塔なり、十三重有といふ、山の中腹に実に深山幽谷のちなり、流れを渡る事十余度みな一つの流れなり、石多く木立しげくよちて南へ登り塔の半ばにあたり北を見るに十一重也高さ十五丈(45m)と称す、即南の方より北に向かって見たる処をここに図し侍る、この辺に白蛇住めいとて白蛇塔と号し又そう輪ともいひまた沢入に住いとて沢入塔共いうなん、この沢を塔の沢という、近年石工石仏を造り塔の後ろ山に安置して多く在塔の中段大岩の上抔にもありみな近ころの作也、此の塔人作にあらて天工のなす所世に珍しき事と覚ゆ、沢をこえ、北に乞十丈ほどの岩山あり壁を立たる如し、是も後より上り見るに頂上に寝釈迦をえる近年の作也、此の岩を不動岩と号す、頂上の体左に図す。

  

  白蛇塔と南北相対する塔は南也、さるをかせ多く木梢にあり源太郎なるもの木登りしてとりてよせたり、銭を与んとせしに逃げて受す山中の人の質朴里人の及ぶところにあらす、十丈の岩壁上に生ひたりし木なれば危うきこといはんかたなしこれに登り、労とせす狎れたること猿猴(えんこう)の如し、此の北に水晶山有といふ、沢入宿より白蛇塔まで乾(北西)の方二里にして遠し、岩上に休行こと一里ほどさきに休みし所に帰り石にこし打かけ以後来る人も多くはこの所こしかけ岩とすへし、石数ありて休むによし、不動滝を左に見前にて流れをわたり川を右にして行く、大草木の内はち沢えの近道あり、日中に及んで沢入の宿へ帰る、主に向かひ案内の物に百銅に端銭を添酒飲めよいいて道乗与ひたり新八悦び受けたり、主草餅を出したるにより道乗銭を与ふに受けす、重ねて遊ばせ給ひ我も参らば尋ね申へし其の時はとて固く辞す・・・

 

として沢入を後にしました。寝釈迦は北枕としている像が多いのですがここは南枕ですその先にあるのが相輪塔がありますからその影響かもしれません。相輪塔は絵の様な形ではなく南に回り込んで観ると写真の形になります。袈裟丸山への道は登山道となりますので十分な計画と準備をして、熊や猿に注意して無理をしないで、楽しんでください。

 

b 沢入・草木 地区  草木ルート

草木ルート b13 東宮神社 ~ 草木ダム堰堤

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