草木・神戸・小中・花輪 b8 c  c9  c10  c11d

草木地区  b8

写真 B 沢入  C 神戸

草木湖ルート

 あかがね街道はすべて湖底に沈み、渇水すると部分的に見ることができます。それで詳しくは調べられませんが湖の廻りは大変景色が良く特に秋の紅葉期には人気があります。

 特に右岸の富弘美術館、草木ドライブイン、左岸のサンレイク草木の周辺は観光スポットとして人気があります。

また、上流部にある、矢沢観音堂は、当時の面影を残す数少ない場所です。目印はこだま食堂のところから山に少し入った所です。

 

神戸・座間 c09  地区

神戸ルート

 神戸ルートは草木ダム(c01)から二条の滝(c10-3)までとしました。まず草木ダムからは森の散策路として整備してある道が街道です。しかし「コーヒー響」の上の所ではっきりしなくなります、ここでいったん下の旧国道に出る。

 かつての街道はこの辺りから沢沿いを下におり、下にある古民家(c03)の所から西に向かった様である。この道は万年橋に出る道に通じるがその手前の細い道を清水寺方面に向かって、いかにも街道と思える道を進むと桑平橋の所で国道と合流します。

 清水寺の所で国道を少し進むと左折の道があり昔の役場跡(c06)が見える、役場と云っても戸長の自宅を改良して使っていたようなものと思われるものです。

 ここから道なりに進みいったん国道に出ます。国道には「玉木家」(c08)と太郎神社(c09)が並んで在ります。この間に川に下る道がありますからこれが街道となります。分かりにくい道ですし玉木家さんの所有地になっていますから、いったん声をかけて行くといいと思います。道は整備されていて当時の雰囲気も残っています。開けた所に出ますと「わ鉄」の線路と旧神戸発電所の建物が見えます。

 発電所の建物は古くなっていていますので中に入らない方が無難でしょう、発電所の前を通り少し高台の様な所に出ますと橋があり「二条の滝」(c10-3)が見えます。道はここから国道に上るようになっていますが、街道は川沿いを通っていた様ですがこのさきは調査できませんでした。

 

座間・松島ルート

 草木ダムから新道との分岐までを座間ルートその先を松島ルートとしました。

 座間地区にはそれなりの資料や痕跡がある事から街道が通っていたことを否定することはできません、また信憑性はともかくとして座間峠を越えて桐生の梅田地区へと銅を運んだともいわれている所からも、渡良瀬のあかがね街道の重要拠点である事は間違いない所とおもわれます。

 ではどこで渡良瀬を渡ったかというと。絵図には現草木橋の所に橋が描かれており、そこから渡ったことは確かと思います。その他はというと分からないのが現状です。

 いずれにしろダムの所からは川沿いを進み柱戸川の所で迂回する現在の道であることは間違いないように思います。その後は庚申塔(c26)のところで再び沢を上り現在の道を進んだのではないでしょうか、道はこのまま川に向かってますが途中で山の中に入ったとの話があり、現在の道は新道として新しく造ったとのことでした。

 新道は新しく作った庚申塔もあり、対岸の崖地を川に沿って進む「わ鉄」風情があり、特に紅葉の時期や新緑の時期はお奨めできます。

 本来の松島ルートは途中から山に入り山を下りたあたりに庚申塔や木の祠が在ります。ここで新道と合流します、このところは複雑でした地図の小夜戸ルートを参考いしてください。

 新道の沢を渡った所に百番供養塔があり、県の資料ではここから左岸ルートが始まっています。

 

 

小中 c10  地区

小中ルート・大蒼院ルート

 小中ルートは途中から大蒼院ルートが分かれ、再び合流した後、御霊神社の所までです。

 二条の滝(c10-3)の先の道はそのまま国道に通じています。これは発電所が活躍していた時の名残で、実際の街道は国道には出ないで川沿いを進みます。

 すると松島ルートが新道を直進しそのまま川に向かった道が川を越えたところで合流します。このルートは川に向かう所に庚申塔があり、地元の方も簡単な木造の橋があったとの話しが有ったので、松島橋が出来る前はこの辺にあったものと思われます。小中ルートはこの先確認はできませんでしたが、松島橋の両側には道の痕跡が残ることからほぼ間違いない事と思われます。

 現在国道に歩道橋がかかっていてその先は桜木坂につながっていますがかつてはこの辺から別れたものとそうぞう付きます。桜木坂から大蒼院の前を通り根利道に出ます。これが大蒼院ルートで、今は駅の所から来た道と合流し阿入橋を渡りますが、当時はこの橋はなくそのまま阿入地区に入りました、降りた所の周辺から対岸に渡ったと思いますが、調査はしていません。しかし対岸の栃原地区には川に向かう小道が残されている所から何らかの方法があったことは間違いないと思われます。

 栃原地区からは今の切通しの手前を左に下り柳平地区を通り地蔵堂付近で小中ルートに合流したものと思います。

 小中ルートはそのまま進むと杲(ひので)小学校の跡地を通り、東村初代村長の家の所から小中駅の南に進んだようです。小中川は当時、鹿生川と呼ばれここには木の橋が架かっていました。

 その後国道に出たようですがどの辺で出たかは痕跡が見つかりませんでした。国道に出てからは(c13)の所から上り、大蒼院ルートと合流後、地蔵堂跡(c13)の所を通り三島屋の裏に出て、ここで再び国道に合流、御霊神社(d01)の手前のから神社の前の道に進んだものと思います。

 

小夜戸ルート

 小夜戸ルート百番供養塔(c29-1)から始まり大畑ルートまでです。

 松島ルートが山から下りてきて沢を渡ります、ここで旧道は松島橋の方向に向かっていた様で、大きな民家の石垣が残っています、ここから先は街道の雰囲気も残っていて神社や石の塔を始めとした文化財が多く残されています。

 稲荷神社(c36)の手前で二股に分かれ東橋方面の道がありますがここに橋があった資料は無く。 もしたら渡し舟があったのかもしれません。大畑ルートに向かう道も石の祠が高い所に在る所から切通しではなく上を通っていたことが想像できます。

 山を下りて沢を渡らずに渡良瀬方面に向かうと庚申塔(c29-3)があります、ここを進んだ所からは対岸に渡れたようです。

花輪 c11d 地区

花輪ルート

 花輪ルートは御霊神社から銅蔵を経由して房川までです。

 御霊神社の前の道を進み今の道に出るとまもなく普門寺跡に向かう道があり唐沢を下るまでが普門寺ルートです。花輪ルートはそのまま進んだものと思われますがもっと川側を通ったとの話もありはっきりはしていません。踏切を渡ったあ辺りに東瀬橋に向かう道がありますがここから先は大畑ルートになります。

やがて街中に入りますがまず祥禅寺の参道があるとことから如何に大きな寺であったかということが想像できます。街中に入るとやがて銅蔵が見えます。花輪の町はこの先の房川の所まででこの先は荻原ルートとしました。

 

大畑ルート

 大畑ルートは先ほどの分岐から八木原の分岐までとしました。

 まず東瀬橋を渡ります、この橋は絵図にも明記してありますから当時から有った物と思います。その後小夜戸ルートと合流して今の花桃街道を進みますが部分的に旧道の痕跡が川に向かった所に残っている所があるところからはっきり確定した訳ではありません。

 特に広瀬の渡しがあったと思われると頃には道標(d24)や観音様が残され雰囲気も残っています。この先は黒保根の八木原地区に入りますが痕跡が少ないのではっきりしたことは分かりません。

 しかしよく見ないと入口(e31)が分かりませんが確かに痕跡が残っていました。ここから先は桑代ルートとします。